沿革
History

1930年(昭和5年)4月齊藤一男講師の講義が行われた。

東京都千代田区飯田町にて開設し、
1963年(昭和38年)7月から
現在の付属病院
(東京都文京区千駄木1-1-5)に移動。

歴代の主任教授


齊藤一男 教授

初代:
齊藤一男 教授 1931ー1953年

「スポーツ医学」の医学のパイオニアとして、教授就任以後も1932年(昭和7年)のロサンゼルスオリンピックに派遣され、またオリンピック招致委員としてドイツにも派遣されるなど、学内のみならず国際的にも活躍された。
その後1944年(昭和19年)東京体育専門学校教授、1949年(昭和24年)東京教育大学教授を兼任して積極的にスポーツと医学の発展に関わったが、1953年(昭和28年)52歳で急逝された。


高木憲次 教授

第2代:
高木憲次 教授 1952ー1959年

肢体不自由児の父と呼ばれ、治療・教育・職能の三位一体論を掲げ整肢療護園設立に尽力した。
「療育とは、現代の科学を総動員して不自由な肢体を出来るだけ克服し、それによって幸いにも恢復したら肢体の復活能力を出来るだけ有効に活用させ、もって自活の途の立つように育成することである」と述べられている。
1952年(昭和27年)には中央身体障害者福祉審議会長に就任し、保険文化賞を受賞した。
さらに国際児童福祉連合国内運営協会常任委員・会長となり、1957年(昭和32年)朝日賞を受賞し、1959年(昭和34年)退任された。


伊藤忠厚 教授

第3代:
伊藤忠厚 教授 1959ー1981年

44歳で教授に就任され、本教室における整形外科診療領域の拡充に努力された。
特に腰椎疾患を中心として脊椎分離症に対する手術的治療法である「分離椎弓摘出非固定術」を考案して手術的治療を行い、脊椎分離症の診断・治療の発展に貢献した。また、筋電図を中心とした電気生理学的診断法、手の外科疾患の診断と治療、さらに付属病院長時代には救命救急センターを開設し、救急医療にも積極的に取り組まれた。


白井康正 教授

第4代:
白井康正 教授 1981ー2001年

腰痛を中心とした診療を行い、腰椎以外にも頚椎、胸椎などの外科的治療に取り組んだ。
さらに職業性腰痛を中心に腰痛の診断、治療に対する研究を行い、日本腰痛学会を設立して学会事務局を本教室に置いた。また、仙腸関節の解剖、病理組織、バイオメカニカルな総合的研究を行い、電気生理学的研究をより一層発展させた。
また肩関節、股関節、膝関節、肘・手の外科、足の外科、骨軟部腫瘍などに対する臨床の充実がなされた。


伊藤博元 教授

第5代:
伊藤博元 教授 2001ー2011年

関節外科、脊椎外科、手の外科、スポーツ整形などの整形外科臨床診療分野をより充実させ、臨床的・基礎的研究を一層発展させた。特に、遷延治癒・偽関節、および末梢神経再生に対する物理的刺激に関する研究、肩関節不安定症の病態・診断に関する研究、骨髄幹細胞を用いた再生医学、疼痛発現機序の研究など、21世紀における基礎研究の礎を固められた。


高井信朗 教授

第6代:
高井信朗 教授 2011年ー2020年

外科的治療を重視し、膝関節外科はもとより、整形外科各分野の手術数の増加と最新治療の導入に貢献した。また国内のみならず、アジアや欧米諸国での学会活動も積極的に行い、国内および国際学会を主催した。さらに、新入局員や大学院生の増加を含め、次世代の人材育成と医局の発展に努力した。


眞島任史 教授

第7代:
眞島任史 教授 2020年ー

2020年4月に就任した。専門分野である膝・股関節の人工関節手術を中心に、関節外科、スポーツ外科、リウマチ外科、脊椎外科、骨軟部腫瘍、リハビリテーションの充実とともに、救命救急科と連携した外傷外科の発展に努力している。また臨床・研究・教育のバランスのとれた医局を目指し、臨床研究のみならず、基礎研究にも重点をおいた大学院生の指導を開始している。